脚本について

平成26年12月26日、脚本コンペの授賞式をやって世間で脚本が決まったと思われた。

しかし友厚公の人物像を初めて世に出す責任上、歴史は公けの財産であることの戒めを守るには、 今少し時代検証が必要と思い、小松秀樹に再度、以来1年間、 当時の時代考察と対比した上での友厚公の生き方の検証を頼んだ。

しかし、漢文の教育を受けていない我々は、織田作之助先生、佐江衆一先生の小説以上の検証が出来る筈もなく、 改めて、自分の無能力を恥じているだけであった。

「自己の経験知を客観視するように」と人には言いながら、自分が自己の経験知の中だけでしか 判断、認識、行動指針の決定が出来ていない事を今更ながら再認識させられた。
織田さん、佐江さんのお教えを受けたい。今少し、小松の苦労を待ってみたい。

さて、映画の資金づくりについては、いつもながら苦労している。
但しその苦労でやる気を挫かれることはない。
自分の働いた金を文化創造のために公けに戻す気持ちは、自己肯定に繋がる。
そのことは神の内在化を覚知した人には理解できるという絶対的な信頼があるからである。

金を儲けることが指針となる150年目を迎える資本主義の行先を検討、検証する映画を作るには、我々国民の1人1人の力を結集して皆で映画作りに参加して、集い、そして楽しみたい。
楽しむことは自己顕示の場を持つことではない。
自己の孤独と、未熟さを覚知して死に向かう人生のプロセスの中で文化創造に寄与することである。
是非、世俗的代償の期待なき英断を頼みたい。