正直な話として

正直な話として

多くの人から、私の文章は分かりにくく煩いと叱られる。

長く書いて説明するには自分の物語が必要であるが、その物語が私には少なく、人からの借用分がほとんどであるため、実は書けないのである。

多くが内田樹先生、司馬遼太郎先生である。
両先生からの知恵の借用なくしては、自分の文章は全く書けないし、書けてもとても人に見せられるものではない。
どこかで自己顕示欲が働いて自分の真相を探れない。

それでも仲間と楽しく生きていける自分が居る。
どんな時、楽しいと思えるか?
それは仲間達が

「ふつうに仕事をして、ふつうにご飯を食べて、ふつうに暮らしているわけだけども、ただ、その時の自己規律として『自分さえよければそれでいい』ではなく、『負担はみんなでわかちあい、利益もみんなでわかちあい、リスクもみんなでわかちあう』という、相互支援・相互扶助のルール選択をして頑張っている姿を観る時である。」(街場の共同体論 内田樹P252)

だから、自分もこの世で頑張ってみたい。

廣田稔