五代友厚の功績とは?

それは、功績を求めることなく日本を経済的に力強くさせるために生き急いだ人のことである。

他社貢献の人と言われるが、それも正確ではない。
貢献という言葉の中には、少しばかり上からの目線が入っていて、人格者が民のために我慢したという要素が入ってくる。

それより、五代は他者と共生したのだと思われる。

この他者と共生するには、どうしたらいいのか?それについては、我々は学んだり、人から教えられたりしない限り身に着くことはない。
我々一人一人が市民的に成熟する必要がある。
人は他者よりも自己の利得を考えようとする。

我々日本人はその利得追及することが、しかも産業革命の力を利用して大規模に推進していくことが正義であるかの如き誤魔化しマスコミ、企業のコマーシャルから受け続けた。
自己決定自己責任の原則という言葉を使わされ企業の利益追求のために生かされ過ぎた。
大学の文科省による評価基準も企業同様、いかに利得を得られるかだけにかかっている。大学での学問の尊厳が消滅寸前である。
大学の学長も、政治家も、弁護士会会長も、村社会から選出されると益々危ない。

自分が優秀で人より優れている、人のために努力してきた、純粋であると思っている人は、人の上に立ち仕事をしてはならない。
何故なら彼らは他者との共生能力が劣化しているからである。

内田樹は『呪いの時代』P154で「他者との共生の基礎となるのは、実は『我が内なる他者』との共生の経験なのだ」と言われている。
続けて、「他者と共生する」というのは「他者に耐える」ということではない。
「他者」を構成する複数の人格特性のうちにいくつか「私と同じもの」を見出し、「他者は部分的には私自身である」と認めることであると言われている。

廣田 稔