話合う相手を論争で負かす、罰することで何かを創造することは、まったく不可能というより、人生の時間を無駄使いすることである。今の各政党にお互い譲り合い「人間っていろいろあるよね」ということを認めあう成熟した思想を持つことは、およそ期待できない。メディアにも視聴率ありきで成熟した思想に基づいての報道をしてもらうことはおよそ政治事件についてはほとんどこれまた期待できない。しかしそんな事を言っても、それこそ何も生まない。ストレスが自分に溜まるだけである。それでは残りの人生をどう生きるか?せめて自分の手が届く範囲だけでも社会的公正を成立させ、条理が通る場を作るよう努力して死を迎えるしかない。
この条理が難問である。
歴史から学ぶしかないが、1789年以降の歴史では話にならない。有史以来のそれでも不足しホモサピエンスの社会の誕生以来のそれを学べと言われる。しかし神の知恵を押し頂くことでしかその学びは出来そうにない。そうでなくては自己中心的知見からの脱皮が不可能であると言われている。